地の声(ちのこえ)

偉い人の声は天の声。庶民の声は地の声

選挙

権力の腐敗や増長をやめさせる簡単で誰にでもできる方法があります。それは選挙に行くことです。

えせ文化人たちは「皆が選挙に行かないのは今の政治や政治家が悪いからで選挙する価値がないからだ」というようなことを言いますが、本当にそう思っているなら単なる馬鹿ですが、そうでなければ権力側から依頼されて国民を選挙に行かせないように洗脳しているのです。

 

つまり権力の手先なのです。現在、忙しいから選挙にいけないという言い訳はできません。期日前投票が簡単にできます。

選挙に行かない人たちはエセ文化人の口車にのせられて、選挙に行かない自分の怠慢の言い訳にしているにすぎません。

最近の首長選挙投票率は30%台というのが珍しくありません。そんなものが選挙といえるのでしょうか。

 

マスゴミはあまり投票率の低さをいわなくなりました。権力者や既得権益者は必ず選挙に行きますし、無知な庶民には選挙に行ってもらいたくないのです。

権力や既得権益を持たない一般庶民の皆さん。ぜひ選挙に行ってください。誰も入れる人がいなければ自分の名前を書いてもいいし白票でもいいのです。

 

選挙に行くという行動が大事なのです。有効投票のうち50%が無効票だというようなことになれば今の政治に対する国民の批判の判断がはっきり示されます。

いまの政治が駄目ならとにかく人を変えることです。その人が駄目ならまた次の選挙で別の人を選べば良いのです。

 

ごく少数の、権力を持つ、既得権を持つ、大衆から搾取する者と

大多数の、権力を持たない、既得権もない、搾取される大多数の庶民

というのが、何千年も続いた人間社会の構図でした。

現在は、誰でもが権力者になれるし、誰でもが権力者をやめさせることができます。

それは、普通選挙制度が確立した、ここ数十年のことです。

住む所も、食べるものも、着るものも、乗る車も電車も飛行機も、あらゆるものに格差のある現在、ただひとつ格差のないものの一つが選挙権なのです。

年収数十億円の、ソフトバンクユニクロの社長も、年収数百万円のそこの社員も、年収無しの生活保護者も、一票の価値はまったく同じです。

こんなに平等の価値あるものがあるでしょうか。

棄権することと白票を投じることとは、全く意味が違います。

棄権することは権利の放棄であり、白票を投じることは、はっきりした自分の意志表示なのです。

選挙にはこれからは必ず行きましょうう。

「馬鹿と貧乏人は選挙に行かない」だからいつまでたっても自分の暮らしが楽にならないのです。